関西の紅葉もやや下火となった12月始め、ちびくろにぴったりのツアーを見つけました
次回、次回でお参りし残していたお寺さん、又昔の思い出のなかのお寺名が並んだ
タクシーツアーです。京都駅に着くと待機していたタクシーさんの嬉しいお出迎え
私達のグループは友達と2人、ご高齢のお父さんと娘さんの親子さんの4人です。


<> 光悦寺

江戸時代の芸術家本阿弥光悦は職人、一族を鷹ヶ峰に呼び工芸集落を
作った 没後位牌を祀る御堂を造ったのが光悦寺の始まり
この入り口は一週間前は紅葉のトンネルとのこと



本阿弥光悦翁の木像と光悦垣



<>岩倉実相院

御本尊は不動明王 天台宗の門跡寺院で代々天皇の血筋の方々が住職を務める
格式の高い寺院 幕末には岩倉具視も一時期暮らしていたことがあったとか
ピカピカに磨かれた堂内の床に映った庭の紅葉がとても素晴らしかったが撮影は不可でした
庭に並んだ石佛は紅葉の傘をかぶったかのように染まっていました    




<>曼殊院
天台宗門跡寺院 御本尊は阿弥陀如来 最澄(767〜822)の時代に比叡山に創建された小寺院が起源
枯山水の庭園   松の枝が地を這っていましたのでパノラマとしました



今回のツアーに入っていない八大神社と青蓮院です
↓八大神社は詩仙堂の隣に位置して宮本武蔵ゆかりの神社吉岡一門と戦った一乗寺下がり松の松何代目かがある由
   ・夜も公開の国宝青不動をひとめと夜解散後、青蓮院へと向ったのですが何百メートルの行列にびっくりし諦めました↓




<>光明寺
浄土宗西山派の総本山、宗祖はお念仏の教えの法然上人 、建久九年(1198)の創建に力を尽くした
のが『平家物語』に登場の熊谷次郎直実、戦乱に生きた罪深い自分を、法然上人のお念仏に救われて
出家したと言われています








<>善峯寺
平安中期(1029)源算上人によって開かれた天台宗系の寺院 ご本尊は十一面千手観音菩薩、応仁の乱の兵火で
焦土と化した 後江戸時代に徳川五代将軍綱吉の生母・桂昌院が復旧され425,000坪を寺領として明治に至った

・阪神淡路大地震の時断裂した阪神高速道路から、観光バスが前部を乗り出したままぎりぎり落ちないで助かった
事がありました。そのバスの運転手さんが善峯寺のお守りを持っていたことから、受験生の”落ちないお守り”
として高人気だそうです




この扉の中の井戸水をいただくと10年長生きをするとの言い伝えとドライバーさんに薦められて飲みました?




京都市内が眼下に見渡せるような善峯寺で一生に一度の鐘を撞かせていただきました しあわせ!
桂昌院が徳川五代将軍綱吉公の厄除けの為に寄進された”厄除け”の鐘とのこと(お賽銭は50円)




<>十輪寺
嘉祥三年(850)文徳天皇の世継ぎ誕生を祈願し、皇子ご降誕、文徳天皇勅願所となる、ご本尊は伝教大師
作の木造の延命地蔵菩薩 そのお腹に巻かれた腹巻で染殿皇后が安産されたので腹巻地蔵尊と称される

↓庭園(三方譜感の庭)右大臣藤原常雅公作、三方から場所を変え見る人に様々な想いを感じさせる”心の庭”との
こと、平安時代の歌人在原業平がその晩年に隠棲し塩焼きの風流を楽しんだその窯↓近くにお墓もある




<>大原野神社
春日大社の分霊を祀る洛西の氏神さま 何年か前までは鹿も放たれていたが今はいない洛西の春日さん




こちらの春日不動尊もツアーのコースではないのですが、この時期に桜が咲いているとのことで 案内して
いただきました ヒマラヤ連峰の中腹に咲く初冬を彩るヒマラヤ桜だそうです




<>地蔵院
臨済禅宗の寺院 開山は夢窓国師とし、ご本尊は地蔵菩薩(延命安産)
後小松天皇の皇子として生まれた一休禅師が幼少の頃修養された寺
地蔵院は竹の寺とも言われ境内には竹林が沢山あります




<>京   風   情






◎八寺社を巡るこの旅は皆紅葉の名所でした。でも時期は少しずれていました。
京都の散り紅葉もまた良しとするか、反面期待も少々がほんね・・
何処のお寺も一面の散り紅葉、紅い絨毯に驚かされました。


※厳寒の2月ですがはや、桜の開花予報の話もちらほらの時に残り紅葉では、三日遅れのなんとやら
 でお恥ずかしい次第ですが、のろいちびくろをどうぞご容赦ください。
延命のお水をいただき、厄除けの鐘をつき、結構な残り紅葉にも出会えて、はてさて、欲張り
 おばばはどれ程の福をいただけたのか、皆様の何分の一の二日間一万歩の旅でした。

●お寺のご案内はパンフレットより

ありがとうございました





ラジオ語録から
今日の一言・・・  過ぎた事は諦める、そして冒険して勇気を持つ
--------------斉藤茂太先生もたもた人生より           


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